トキントキンだけは譲れない
はてなブログの今週のお題「方言」。
このお題を見た瞬間、大学進学をきっかけに名古屋を出てからXX年、ずーっとモヤモヤしているあのことを書きたくて仕方ない…と思わずスマホを手に取りました。
お時間ありましたらこのグダグダにお付き合いください。オチはありません。
名古屋は、独特の文化が何かとネタにされがちな土地柄です。
古くはタモリによる「名古屋は大いなる田舎」*1だとか、植木等の「名古屋嫁入り物語」による「名古屋の結婚って大変なんでしょ!?」*2とか、「名古屋嬢」のおかげで「みんなあんな盛ってんの!?」*3とか、あっあとのぞみの名古屋飛ばしとか*4。
その度に名古屋人は
くっそーーーー
いつか見とれよ名古屋がそのうち東京や大阪ひっくり返したるでな!!
と思ってたわけです。いや思ってないけど。
※念のため参考までにそういう名古屋的ルサンチマンのごく一部の例を挙げておきますね♡
■歌の例
名古屋はええよ!やっとかめ
■小説の例
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…すみません、名古屋迫害コンプレックス&被害妄想が強すぎて脱線しました。方言の話に戻ります。
方言である名古屋弁もご多聞にもれずネタにされがちです。
名古屋弁を使って「なにそれwwwww」と言われること多数。
でもね、まあよその方言なんてどこ行ってもそんなもんだしね、まあ名古屋を出て20年くらいもすると*5、標準語に首まで浸かってしまい、まあ名古屋弁も標準語に言い換えられるもんね〜と思い始めるわけです。異文化理解大事。レッツダイバーシティ。
例えば、
学校で掃除の時間に机を運ぶことを「机をつる」→まあ机を運ぶだよね〜
学校の休み時間が「放課」→まあ休み時間だよね〜
信号が点滅している様子を「信号がパカパカしとる」→うっ…ま、まあ信号が点滅してるで事足りるよね〜
と言う具合に次第に標準語に取り込まれつつあり、名古屋弁は帰郷時や東京で名古屋の友人と会う時のみ楽しむものとなってましたが。
娘がお絵かきで色鉛筆を使ったり、ワークで鉛筆を使って、それを削るとき、どうしても、名古屋人のDNAが騒ぎ、私に問いかけてくるのです。
「名古屋以外の人たちは、もうこれ以上削れないところまで削って尖らせた鉛筆の先の状態を何と言っているの??」
と…。
名古屋人はこの状態のことを
トキントキン
と言います。
トキントキンは状態を表す言葉です。
なので、
「あ〜鉛筆削ってトキントキンになったわ〜」
という時は、
「もうこれ以上削れないところまで削ってこれ以上なく尖ってるね!」
ということなのです。
これを一語で表すのが、トキントキン…。
夫を始め、名古屋以外の人にはやはり全く伝わりません。
「え…それ、すごく尖ってるじゃだめなの?」
「これ以上削れないとかでよくない?」
と若干引き気味に言われるわけです。
そうなんだけど…!!そうなんだけども!!
違うのよ…トキントキンはトキントキンなのよ…
そういうわけで、すっかり標準語に馴染んだ私も、トキントキンの言い換えだけはどうしても納得いかないまま、今日も娘の鉛筆を削っています。
娘にこれを継がせる勇気はもちろんありません。
うん、東京で生きていくなら知らなくていいよ。
しっかり削れたね、くらいの感じでいいのかな…あはは。
…トキントキンだよ〜〜!