IT企業広報として働く二児の母

IT企業の事業広報として働くアラフォー会社員。単角子宮による切迫流産・切迫早産を乗り越え、無事二児の母となりました。単角子宮での妊娠・切迫流産や切迫早産・帝王切開の経験、育児と仕事の両立、読んだ本などいろいろ書いていきます。

切迫トラウマや仕事に悩んだけど…二人目に踏み切った理由

昨日から妊娠25週に入りました*1。そして今日が2月最後の日なので、切迫流産/早産での完全引きこもり生活に入ってちょうど1ヶ月です*2

やっと安静期間の25%が終わった!あと3ヶ月!!

 

ここ数日、切迫での引きこもり生活のストレスが積み重なってきて、かなり鬱々と過ごしていたのですが、ようやく、まあでもやるしかないもんな…と浮上しかけてきたところ。

前回も、出産までの半年の長丁場は、低空飛行気味で、しばしば激落ち、でも浮上、をゆるいサインカーブのように繰り返してきた記憶があります。

 

切迫経験は正直自分の中ではかなりのトラウマなのですが、それでも二人目がほしいと思ったのはなんでだっけな、というのを書いておこうと思います。

(こういう時しか突き詰めて考えないような長くて重い自分語りですが、ご興味ありましたら…)

 

 

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正直トラウマだった切迫での安静生活

何度か記事にしていますが、今回は二人目の妊娠で、一人目の時は妊娠6週から、結局出産の38週まで、絨毛膜下血腫と単角子宮による子宮頚管短縮で切迫流産と切迫早産が連続的に続き、7ヶ月くらい安静生活を送りました。

 

前回も今回も入院には至らず、自宅でのベッド上安静なのですが、それでも、前回の7ヶ月引きこもりというのは、精神的にかなりこたえました。(今回は4ヶ月の予定。よーし少し短いぞ!)

 

というのは、ただ安静にしている必要があるだけではなく、お腹の中の子どもを正期産、少なくとも自力呼吸ができるくらいの週数まで成長させてあげられるかという不安とプレッシャーや、社会と切り離されて、自分だけが置いてきぼりになっているような孤独感に悩まされること、でも妊婦・自宅安静中という立場からそうしたことを人に言えないプレッシャーみたいなものがあり、どんよりした気持ちに悩まされることが多かったからです。

 

みんな幸せそうに外に出られる妊婦生活を送っているのに、なんで私はこんな目にあわなきゃいけないのかなー、と思ったことは数えきれないくらい*3

 

読書や映画、ゲームなどで気分転換をしながら、毎日残りの期間を指折り数えてただたただ出産の日を待つ毎日でした。

 

なので、ようやく出産できた時、娘に会えた喜びと同じくらい、この生活から開放された安堵感でいっぱいになりました。

 

…そして、もう二度とこんな目にはあいたくないとも思いました。

 

 

それでもなぜ二人目を産もうと思ったのか 

こうした切迫のトラウマはもちろん、復帰後の仕事が軌道に乗り面白くなってきたこともあり、正直かなり長い間二人目は考えずにきました。

夫は、一人目が生まれた後早くから二人目を望んでいたのですが、育児の負担もあり、しばらく無理!!ひとりで十分!!とも思ってました。

 

でも、二人目を妊娠したとか出産したといううれしい報告を周りで聞くたびに、傍らにいる娘の姿と、幼いころの私が重なり、心が揺れました。

 

私は一人っ子です。

両親と祖母の4人家族でしたが、家が自営で大人は総出で働いていたため、小学校に上がるまではひとりで遊んで過ごすことが多かったようです。

周りに一人っ子の友人はおらず、兄弟がいるってどんな感じなんだろうな〜と憧れつつも、気ままで自由でもある一人っ子も悪くはないもんね、と思って育ち大人になりました。

 

ただ、時々、何とも言えない心細さを感じることがありました。

それはたいてい、お正月とかお盆とか、何か家族や親族で集まりにぎやかに過ごした夜の帰り道だったり、楽しく過ごした休日の夜のテレビを消した後にやってきました。

すとんと落ちるような心細さ、不安感。子供の頃の私はそれをうまく言葉にすることができませんでした。

 

25歳の時、私が高校生の頃から慢性の病を患っていた父が亡くなりました。

父は長くないと聞いてから何年も経っていたので、自分の中では随分前から覚悟はできていたのですが、直面すると予想以上に重いものがありました。

子供の頃からよく知っているあの心細さが、どっと押し寄せました。

でも、その時には夫と結婚していましたし、幸い母も元気だったので、特に苦労することはなく、葬儀や一連の手続きを進めていきました。だから、その時はその心細さと向かい合うことはしませんでした。

 

その数年後、今度は元気だった夫の父が突然亡くなりました。

夫には、私と同じ年齢の妹がいます。夫と義妹は正直そんなに仲がよさそうではなかったのですが、その後の一連の中では、突然の出来事に悲しみ途方に暮れる義母を支えながら、相談しあいそれを乗り切っていました。

(今も、夫と義妹は、何かあるたびに家のことを相談しあい、もしもの時のこと、それ以降のことも話し合っています) 

 

その姿を見て、子供の頃に感じていた、そして父が亡くなった時に強く感じた、あの心細さを思い出しました。

そしてそれがどういうものだったかということを知りました。

 

自分の親がいなくなる事実を真正面から受け止めることと、親が亡くなった後のいろいろを決めて整理すること。

それができるのは、この家に生まれた私、たった一人にしかできないのだ、ということでした。

 

幸い、私の場合はこのことに向き合うとき、私のそばには夫と娘がいます。でもそれは幸運に恵まれたから。

 

傍らにいる娘に、ふと、自分を重ねてしまう時があります。

その時、自分が抱えているその心細さのことを思うのです。

 

そういうことをお互いで分け合える仲間を作ってあげることができるなら、そうしてあげたいと。

 

ここまで書いて…まあここまで考えなくてもよかったのかなとも思います。

親のエゴかもしれないなとか。 

復職後数年続けた多忙な業務から1年ほど前に離れ、別の業務になったことで、ようやくそういう余裕ができたというタイミング的なものもあります。

 

そして一応念を押しておきたいのですが、この話は一人っ子否定ではありません。

私は自分が一人っ子でよかったと思うことはたくさんあります。正直、一人っ子はおいしいところ独り占めだし、一人っ子であることは自分の大事なアイデンティティです。

また、いろいろな事情で、二人目に踏み切ることが難しい方もいると思います。

 

私は二人目を望んでありがたいことに授かることができました。でも正直今とてもしんどい。

そんな自分に、「こう思って自分で決めたんだから、頑張れよ〜!!」というつもりの文章です。

 

あと3ヶ月、がんばります!

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*1:妊娠7ヶ月の2週目です。妊娠時期のいつくらいかを示す指標は「◯ヶ月」だと思っていたら、実際妊婦生活すると週数なのです。週単位で身体や胎児が変わっていくということなんだよねきっと…

*2:自宅安静自体は1月上旬からでしたが、1月末までは自宅で仕事をしていたので…

*3:みんなそれなりに大変なんですけどね、自分がしんどいとついそんな気持ちになることもあります…