IT企業広報として働く二児の母

IT企業の事業広報として働くアラフォー会社員。単角子宮による切迫流産・切迫早産を乗り越え、無事二児の母となりました。単角子宮での妊娠・切迫流産や切迫早産・帝王切開の経験、育児と仕事の両立、読んだ本などいろいろ書いていきます。

植本一子「かなわない」

写真家であり、ラッパーECDさんの妻でもある植本一子さんの日記&エッセイ、「かなわない」を読んだ。

二児の育児に奮闘する日々が描かれていると聞いて気になったのと、あとはなんとなく…直感で惹かれ、手に取った。
 
はじめのうちは、ECDさんが音楽活動に仕事に原発事故のデモ活動にと忙しい中、孤独な育児を強いられ、いわゆる密室育児に奮闘する様子が続く。
 
突然日本を襲った震災と原発事故、幼い子を持つ故に気になる放射線汚染。神経質と言われるかもしれないけれど、食材の産地を確かめ、選ぶ日々。
そしてまだ幼い2人の娘たちは思い通りにはなかなかならず、自分自身のための時間などこれっぽっちもない。いわゆる「ワンオペ」が続き、疲れ果て、時には娘たちに声を荒げることもある。
その苦しさが赤裸々に語られていて、とても惹きつけられた。
 

育児をしている人ならわかると思うが、その精神的な負担は想像を絶する。子供の生命は自分の手にかかっている。にも関わらず、一時たりとも予測通りにことは運ばないし、子供からは要求の嵐。自分のために時間を使うことはおろか、気を抜くこともできない。トイレにすら満足に行けないくらいだ。

 
そして時には外野からの心ない言葉や態度に傷つけられたりもする。
その中で、同じ育児をする仲間や友人に助けられたりする。
 
育児に悩み苦しむ姿はまるで自分を見ているようで、胸が苦しくなり、夢中で読み進めた。
 
 
彼女が写真家としての活動を再開し、保育所に子供を預けることで気持ち的な余裕ができ、少しずつ仕事が回り出しやりがいも増えていく。
それと同時に自分の人生を取り戻した幸福感を得られる。
そんな流れも、自分によく似ていた。
 
 
少しずつ雲行きが怪しくなってきたのは、彼女が友人との会合で夜遅くなり、時には終電を逃し真夜中に帰るようになるあたりからだ。
彼女は離婚を望むようになっていた。
前半でもすでに夫のECDさんに苛立ち呆れる描写はあるのだが、離婚したいという色が後半以降急激に強まっていった。
 
彼女は恋をしていた。
それ自体は、あらすじを読んでから購入したので知っていた。 
それを否定するつもりはないのだが…その先の展開に驚いた。
 
 
彼女は自身の不安定さに悩み苦しみ、心療内科に通うようになる。
そして、ふとしたきっかけから医師でも専門家でもない人に、メールでのカウンセリングを受けるようになる。その人からあることを指摘され、彼女自身も「気づく」のである。
 
彼女の様々な不安定さは、母親からの愛情不足や母親との関係性の欠如によるものなのだと。
 
彼女が娘たちに苛立つのは、自分がしてもらえなかったような愛情を受けている姿に嫉妬するから。
彼女が恋愛に依存するのは、愛情に飢えているから。
 
そんなことを専門家でもなんでもない人に言われるのだ。それも執拗に。
 
 
ぞっとした。
一瞬、もうここで読むのをやめようと思った。
 
 
母親である自分自身に向けられるにはあまりにも冷たい刃だった。
そして、そんなセンシティブなことを、素人判断で断言し振りかざすその人の姿も、それを聞いて涙し自らを振り返る著者の姿も気持ち悪く、怖かった。
 
 
それでも本を閉じられないまま、最後までなんとか読み進めた。
 
最後は、新しい恋人との別れが描かれる。
恋人との夜中の電話の途中、ついに不倫関係に耐えかねた恋人が激昂するのだ、そして真夜中に夫に会わせろ殺してやると絶叫しながら自転車で家までやってくるのだ。
これまで、彼女の最大の理解者だと自ら称していた恋人の、爆発と豹変だった。
その姿は恐怖以外の何物でもなかった。
 
 
後半以降、こうしたショッキングなことがらが、全て淡々と描かれていた。
全ての感触はあまりにも生々しいのに。文書だけは淡々と続いていた。
 
 
この本について、どういう感想を語るのが自分の気持ちや感じた衝撃に最も近いのかがわからない。
うまく語れない。
 
相手からの生々しい告白によって生まれた共感。自分が人に話しにくい、心の奥底で抱えている、でも誰かと共有したかった思い。それを共有できたような安心感と、仲間意識。
しかしそれがいつのまにか変わり、自分が想像していたのとあまりに違う姿に、突き落とされるような、ホラーのような恐怖を与えられる感覚。
 
でも、今これを書きながら思う。
 
それこそ、生身の人と関わった時に時々起きる出来事であることを。
 
 
この本は生々しいのだが、そんなところまで生々しいのだった。
 
「かなわない」。いつかまた、その後味の悪さを味わうために手に取る日が来るのだろうか。それとも、現実世界で決別した人とのように、もう会うこともないのだろうか。