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単角子宮で二児の母

単角子宮で一児の母のアラフォー会社員、単角子宮による切迫早産を乗り越え、無事二児の母となりました。単角子宮での妊娠・切迫流産や切迫早産・帝王切開の経験、育児と仕事の話、読んだ本などいろいろ書いていきます。

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育児とアイデンティティ

ちょっと前の話になりますが、この記事を読んでいろいろ考えていました。

いつかくる巣立ちの日、その時「私」を見失わないために 〜空の巣症候群について考えた〜 by kobeni - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

「空の巣症候群」という言葉がある。子どもが巣立ったあと、喪失感で心が不安定になるというものらしい。知り合いのお母さんで、子どもたちが大学入学などで家を出たら「胃に穴があいた」という話を聞いたこともある。正直、子どもを持つまで「私はぜったいにそんな風にはならない」と思っていた。子離れできないなんて。アイデンティティを子どもや家族に預けるなんて。でも今は、そのようになってしまうお母さんたちのこと、すごくわかる。

ぐさっと突き刺さりました。

私自身、妊娠・出産と娘の育児を経て、自分のアイデンティティを見失ってしまったと愕然としたことを思い出しました。

 

というわけで、とりとめもなく育児とアイデンティティの話。

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私が娘を産んだ直後、「名前をなくした女神」というドラマが放映されていました。

www.fujitv.co.jp

杏さんが主演の、ママ友同士のドロドロに巻き込まれていくという話。話自体がかなり怖くて、「ママ友こえー」と思いながら指の間からチラ見していました。

そんな感じでドラマ自体もけっこう壮絶でショッキングなのですが、この時、私の心に強く印象が残ったのは、ドラマのタイトル、「名前をなくした女神」。

 

冒頭で紹介した記事の通り、子どもを産むと、否が応でも子ども中心に生活が回り始めます。

生まれたばかりの頃は「子どもを生かす」、少し大きくなってくると「心身ともに健やかに成長させる」というけっこう壮大なミッションのもと、睡眠を削って、膨大なタスクをひたすら必死でこなす日々になります。

授乳、食事、おむつやトイレ、寝かしつけなどの生理的な欲求を満たすことから始まり、病気や事故などの危険から子供を守ること、そして発達や社会的な成長のための働きかけなど、ホントなんでこんなにやることがあるのかというくらいタスクの嵐です。

自分がやりたいことをやる時間はほとんどありません。

というか、自分はとりあえず全部後回しになってくんですよね。睡眠のみならず、食事もそうだし(娘が抱っこ紐で寝ているすきに納豆ご飯をかっこむなんてしょっちゅうでした!)、トイレすら我慢することも多々(膀胱炎になるお母さんも多いそう)。

 

そのうち、自分が何かをやりたいと思う気持ちがいつの間にかどこかに押し込められていきます。それどころじゃないし、自分のための感覚が鈍麻していくような感じ。

そんなだから、「自分のしたいこと」を考えるのがむしろ面倒だと思う時がある。「どうせできないし」と諦めるのにだんだん慣れて、欲望自体が薄まってくる感じだろうか。「誰かのために」やること=家事と育児のタスクは膨大にあり、しかも、一つひとつのクオリティを高めることすらできる(「丁寧な暮らし」みたいな方向性もあれば、「すてきな奥さん」みたいな方向性もあるし)。

同時に、育児って本当に楽しいし、面白いです。そして自分の子供という存在はかけがえがなく、こんな可愛い生き物がいるのかと驚きます。

金銭がもらえないから見返りがないかといえば、まったくそんなことはない。返ってくるのは「愛情」や「成長」だ。小さい子どもは本当に、こっちが申し訳なくなるぐらい、無条件に親を愛してくれる。なにかしてあげれば素直に喜ぶし、手間暇かけて付き合えば大抵は、それに見合った成長をする。つまり、「家族のため」だけに生きていても、そんなに不都合がない、満たされた生活を送れてしまうのだ。 

今思い起こしても、特に乳児期ってめっちゃ可愛くて、なんていうか、もうそんな生活でも満たされちゃうみたいなところがあるんですよね…。

 

そうして過ごしているうちに、地域で育児の話をできるママ友にも恵まれたりします。児童館に足を運ぶ機会も増えます。

そういう場で、自分が「◯◯ちゃんのママ」と呼ばれることが増えていることに気づきました。

まさに、自分の名前がなくなるのです。 

 

いつからか、その「自分」がなくなっていくそのめまいがするような感覚と世間から取り残されていくような孤独が、私の後ろにひたひたとつきまとうようになりました。

 

今はそうではないと思えるのですが、当時は、ママコミュニティの中にいたり、旧来の友人と会っても「ママになったもんね〜」と言われる空気の中で振舞っていると、自分はもう自分という存在ではなく、記号化された「ママ」という存在でしかないように思えて苦しくなりました。

同時に、常になんとなくつきまとっている「母親らしくあること」という固定観念というか空気みたいなものとの戦いも、より自分が記号化を求められているようでもあり、苦しいものでした。

 

家の中で娘を遊ばせ、Eテレで幼児向けの番組が始まりだす。

児童館で娘を遊ばせている時に窓に西日が差してくる。

ママ友と会った帰り、最寄り駅のホームに降り立つ。

…そんな時に、「夕焼けこやけ」の歌…夕方5時の防災放送が鳴る。

それを聞くと、ほっとしました。

ああ今日もやっとこの長い一日が終わる…

この日々がいつまで続くのだろうかと、夕焼けこやけを聴くたびにぼんやり思っていたことを、昨日のことのように思い出します。

 

娘が生まれて半年以上経ち、少しずつですが心に余裕ができはじめた頃から、私はそこからあがくようになりました。

運転免許を取ったり、趣味でやっている写真で個展をやったり…。

今思うと、なんか暗闇でむやみに刀を振るってるみたいな感じだなと思うんですが、当時は必死でした。

そしてそうこうしているうちに、春になり、紆余曲折を経てなんとか無事保育園も見つかり、復職しました。

仕事をすれば、自分の名前を呼ばれる。記号でない自分でいられる。

そのことに救われました。仕事があって本当によかったと、その時心から思いました。

 

 

「子供が生まれたら子供のために生きるのが当たり前」「子供が生まれたのに自分が人生の主人公でいるなんておこがましい、脇役に降りるべき」というような言葉に出会うこともあります。ホントそうだよなと思います。

 

自分はなぜ育児以外の軸足を必死に求めるのか。

こんな自分を母親失格の人間なのかなと思うこともあります。

 

ただ…育児の中で、自分が自分であることを完全に見失ってしまったあの日々が、私は今も怖いのです。

冒頭の「空の巣症候群」自体は、子供が手離れした後に感じるものだと思うのですが、同じように育児の中でいつの間にかアイデンティティを見失った経験を通して、空の巣症候群を垣間見たという感じでした。

 

育児の中で、自分自身と上手くバランスをとって暮らしていける女性はたくさんいるのだと思います。育児自体をもっと自分自身の中に取り込み、楽しめる人、そしてそこから卒業しても空の巣症候群にならない方も。

 

ただ、私はたぶん、育児以外に軸足を持てていないと、うまくやっていけないタイプなのだと思います。自分が自分であると思えることが、育児する自分にもいい影響を及ぼしていると思います。(と信じます)

自分は自分らしいやり方でやっていくしかないので、うまくやっていこうと思います。

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