IT企業広報として働く二児の母

IT企業の事業広報として働くアラフォー会社員。単角子宮による切迫流産・切迫早産を乗り越え、無事二児の母となりました。単角子宮での妊娠・切迫流産や切迫早産・帝王切開の経験、育児と仕事の両立、読んだ本などいろいろ書いていきます。

増幅されていく黒い感情と、まぶしいほどにあふれるひかりと:「きみは赤ちゃん」産後編の感想

川上未映子さん「きみは赤ちゃん」産後編の感想です。
「きみは赤ちゃん」は、川上さんが妊娠し帝王切開でお子さんを産むまでの「出産編」、産後退院してから卒乳*1し1歳を迎えるまでの「産後編」の大きく二部構成になっています。
 
出産編の感想はこちら。
川上さんが描く、妊娠して迎える体や心の変化のリアルな描写について書きました。

udonmotch.hateblo.jp

 

産後編も引き続きヤバイです。

出産編で書いたように、「産後クライシス」的な話がけっこう出てきていて、共感する反面、その黒さをあまりに赤裸々に書いているので、その黒さを身をもって体験している私でも、読み進めながらちょっと不安になっていました。

でも、さらに読み進めていくと、ちょっとまぶしいほどのかがやきを残しながら全体を収束させていました。さすがの手腕!

 

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育児を通して増幅されていく「男性」への黒い感情 (※重いです)

出産編ですでに始まりつつあるのですが、著者の川上さんは、妊娠〜出産〜育児の中で女性側の変化や負担が多いこと、そしてそれに対して夫が無頓着であることに対して、(産後のホルモン変化の関係もあり?)少しずつ鬱屈とした感情を募らせていきます。
(川上さんのご主人は芥川賞作家*2の阿部和重さんです。作家という自由業ということもあり家事も育児も非常に協力的な方なんだなという印象を受けました。それでも募るこの気持ち…わかる…)

 

特に著者は、ろくな睡眠が取れないであろう産後2ヶ月くらいから、育児も家事もしながら仕事に復帰なさっているので、よけいに大変だったのだろうなと思います。

楽しく子育てしよう。
あべちゃんもがんばっているのだし、なるべくものごとのよい面だけを、みるようにしよう。
かけがえのない時期だもの。いい思い出、明るい思い出をたくさんつくろう。
(中略)
調子がいい日は本気でそう思えるのだけれど 、でもそれもつかのま 。またすぐにわたしのなかの鬼 、それもものすんごい弩級のいかつすぎる鬼がむくむくと立ちあがってきて 、朝に昼に夜に 、怒りの炎をごうごうと焚きあげ 、あべちゃんのなにもかもが 、まったくすっかりいやになってしまうのである 。いい思い出や 、あべちゃんのいいところなんてそんな怒りと被害妄想のまえでは風のまえの塵以下で 、そういう浮き沈みじたいにも 、心身は確実に疲労してゆくのであった 。

わ、分かる…

少し落ち着くと明るい方に気持ちを向けられるのですが、
「ふこうへいだ…」「こいつわかってない…」
という怒りに火がつくともう、どうしようもないのです。痛いほど分かる。

じゃあ 、ここは母親であるわたしが育児に専念するしかないのだろうか 。いや 、それはない 。なぜ 、あべだけが仕事ができるのだ 。ふたりの子どもなのに 。

(普段は「あべちゃん」と愛称で呼んでいるのに「あべ」呼ばわり!)
 
こんな夫に対するこの理不尽ともいえる敵意の始まりはどこなのか。
 
私の場合ですが。
夫と私は、結婚して長い間、お互い自由にやりたいことをやり、楽しいことを共有しあう同志のような感じで暮らしていました。
 
子を産み育てること自体も本来二人で共有し合えるはずのものだというのに、妊娠や出産という経験・母親に課せられるプレッシャーとか責任があまりにも女性に特化していること、そして個人的なものでありすぎました。
 
そうしたことが今まであらゆることに最大の理解者だった夫に理解されていないように思いました。(私自身も彼への説明や話し合いが足りなかったのだと思います)
 
自分だけが一方的に責任や負担を負ったままであるように見えること私にとってはとても大切なことが相手には実感の持てない他人事に見えるように思えることが、とてもつらく悲しく悔しかったのだと思います。

妊娠し切迫になり自宅安静…あれほど望んだ妊娠とはいえ、それまでつながっていた社会と強制的に断絶され、自由に動くこともできず、無事に産むことができるかどうかもわからず、とてもしんどい。
子を産めばひたすら授乳とお世話に追われ、密室で昼夜がないような生活を送る。
自分のこれまで築いてきたアイデンティティがガラガラと崩れていく。
 
その上で、妊娠・育児のありとあらゆるところから母はこうでなければならないとさまざまな見えないプレッシャーがかかり、仕事に戻れば、育児のためにセーブしたり、つらい局面に立たされることが多いのはどうしても、育児負担が多い母親の方になる。
 
母親に対する責任の重さの理不尽さ、不公平感。
 
それを抱えないといけないのは私だけなのか。
どんなに家事や育児を手伝ってもらっても、でもあなたはこの苦しみを味わっていないよね?わかってないよね?なんて思ってしまう時があるのです。
 
そういうプレッシャーや負担を誰かに共有してほしい、理解してほしいと思う気持ちが、一番近い存在である夫に自ずと向いてしまうのだろうなと。
 
そしてその黒い気持ちは、育児をしているうちに、周りの母親たちが同じような思いをいろいろな形でしていることを知り、それによって怒りはどんどん増幅されて、自分たち母親とは対局の存在である「男性性」への怒りへと膨らんでいくわけです。
 
怖いなあ。書いてて重いし怖いなあと思うんだけど実際そうなんですよ…
 
じっさい問題 、一般的には 、夫が働きにでている家庭の場合はそうなるに決まってるのだよね 。これは構造の問題なのだ 。夫が望んでも望まなくても 、平日の家事と育児は妻がやるしかそりゃなくなるよ 。だって日本の就労システムがそもそもそういう仕組みになってるんだもん 。でも 、それを夫が当然と受け止めるのか 、そうでないかで 、気持ちってぜんぜん変わってくるものだと思うのだよね 。
 
夫婦がともに在宅で仕事をして 、家事を分担して 、経済的にも独立して 、いいたいことをどこまでもいえる気の強いわたしでも 、そしてオニのお世話は授乳以外 、すべて完璧にこなして 、問題があればどこまでも話しあうことをいとわないあべちゃんという夫がいても 、不満が爆発してまじで頭がおかしくなりそうなのに 、そうでない女性たち 、たとえば経済面では頼るしかない状態にいる専業主婦たちは 、いったいどれだけのしんどさをしょいこんで 、いつまで 、どれくらい 、がんばってゆけばいいのだろう … …それを考えないわけにはゆかなかったし 、そういう状況を想像するだけでしんどかった 。だいたいさ 、夫が家事とか育児とかをする場合 、 「やってくれてる 」って言いかたがあるけれど 、あれっていったい 、なんなんだろう 。
 
自分の中にある黒い感情に向き合う中で、それを何度も反芻したり同じ意見を探すことは安心することでもあるけれど、それは、怒りをむやみに増幅させるということでもあります。
 
自分でも、そういう意見をネットで見たり、友人と話して「いやほんとそうだよね!!!」なんて言い合って、その怒りを強めたりしてること多々。(そして女の結束を固める)
 
と同時に、育児にとても協力してくれている夫を思い、産前はあんなに仲がよかったことを思い、自分の器の小ささにとても自己嫌悪に陥る。
でもやっぱり不公平だし理不尽だと思う。責めてしまう。責められたら相手だって苦しいのに。
 
そういうループに私は陥りました。

著者は、そこに、他人同士だから完全に理解し合えるわけがない、というひとまずの決着をつけます。
 
「出産を経験した夫婦とは 、もともと他人であったふたりが 、かけがえのない唯一の他者を迎えいれて 、さらに完全な他人になっていく 、その過程である 」
 
これもこれでちょっと怖いんですけどね。
女の怖さを感じますよね。ある意味見切りつけた感というか。 
 

新しい「家族」というつながり、まぶしいほどにあふれるひかり

重い。
重いわ。
 
実は産後クライシスあたりの話が延々と続くのを読んでいて、ちょっとこの苦しさが続くのはつらいなと思っていました。
が、お子さんが卒乳を迎え、1歳を迎える後半では、そこに光が差し込んできます。
 
でも、オニと過ごしてきた時間をわかりあえるのは世界中であべちゃん、たったひとりなのだ。あの日、あの時、あの場所で、このあべちゃんでなければ、このオニではなかったんだ……と懐メロそのまんまの感慨がこみあげて、なんだか自分がものすごく荒涼とした、だだっ広い宇宙みたいなところでぽつんと座ってるような感じになって心細くなってしまう。
でも、ふと気がつけば、となりにはあべちゃんがいて、わたしとあべちゃんのあいだにはオニがいて、3人の体が少しだけ光っているのが見える。それはほかのどれともちがう光だ。
 
そして、それ以外にも、育児の中にある、輝きのかけらのようなものもたくさん散りばめられています。
 
例えば、自分の子がたまらなくいい匂いで何度もなんども嗅いでしまうなんていうエピソード。
私も、これは娘が五歳になった今でもそうです。
娘が眠っている時、お風呂に入っている時、膝に乗ってくる時に、ふと抱き寄せて匂いを思い切り吸い込んで癒されたりなんかするのです。
わけがわからないくらい愛おしい存在。(もちろんイライラすることもたくさんありますが!!!)
 
最後の2章の、光があふれる世界の中で親子三人が手を取り合っているかのような、希望と美しさと過ぎて行く時間を思わせる切なさはすばらしいものでした。

子が生まれ子と過ごすことは、信じられないほど大変で辛く苦しく、これまでのアイデンティティーを破壊され母というものに縛られ苦しむ反面、それと同じくらい、それ以上に、かけがえなくすばらしいことなのだと。
 
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※娘が1歳くらいの時に撮った家族のシルエット写真
 
 
おそらく夫との間ではたぶんこれからも軋轢が生まれることでしょう。
理不尽だ不公平だと怒りと覚えることも多々あると思います。今もあるから。
 
それをうまく乗り越えながら(それはお互いが我慢するということではなく、お互いが納得行くような形にいろいろなものを必要に応じて変えていきながら)、進んでいければいいなと思います。
 
 
「きみは赤ちゃん」、本当に印象的な本でした!
女性にも、男性にも(怖いかもしれませんけど!)、オススメです。

*1:10ヶ月で断乳ではなく卒乳なんですよ、すごい…

*2:ご夫婦で芥川賞作家とか…!初めて知ってびっくりしました…!!