増幅されていく黒い感情と、まぶしいほどにあふれるひかりと:「きみは赤ちゃん」産後編の感想
川上さんが描く、妊娠して迎える体や心の変化のリアルな描写について書きました。
産後編も引き続きヤバイです。
出産編で書いたように、「産後クライシス」的な話がけっこう出てきていて、共感する反面、その黒さをあまりに赤裸々に書いているので、その黒さを身をもって体験している私でも、読み進めながらちょっと不安になっていました。
でも、さらに読み進めていくと、ちょっとまぶしいほどのかがやきを残しながら全体を収束させていました。さすがの手腕!
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育児を通して増幅されていく「男性」への黒い感情 (※重いです)
出産編ですでに始まりつつあるのですが、著者の川上さんは、妊娠〜出産〜育児の中で女性側の変化や負担が多いこと、そしてそれに対して夫が無頓着であることに対して、(産後のホルモン変化の関係もあり?)少しずつ鬱屈とした感情を募らせていきます。
(川上さんのご主人は芥川賞作家*2の阿部和重さんです。作家という自由業ということもあり家事も育児も非常に協力的な方なんだなという印象を受けました。それでも募るこの気持ち…わかる…)
特に著者は、ろくな睡眠が取れないであろう産後2ヶ月くらいから、育児も家事もしながら仕事に復帰なさっているので、よけいに大変だったのだろうなと思います。
楽しく子育てしよう。
あべちゃんもがんばっているのだし、なるべくものごとのよい面だけを、みるようにしよう。
かけがえのない時期だもの。いい思い出、明るい思い出をたくさんつくろう。
(中略)
調子がいい日は本気でそう思えるのだけれど 、でもそれもつかのま 。またすぐにわたしのなかの鬼 、それもものすんごい弩級のいかつすぎる鬼がむくむくと立ちあがってきて 、朝に昼に夜に 、怒りの炎をごうごうと焚きあげ 、あべちゃんのなにもかもが 、まったくすっかりいやになってしまうのである 。いい思い出や 、あべちゃんのいいところなんてそんな怒りと被害妄想のまえでは風のまえの塵以下で 、そういう浮き沈みじたいにも 、心身は確実に疲労してゆくのであった 。
わ、分かる…
少し落ち着くと明るい方に気持ちを向けられるのですが、
「ふこうへいだ…」「こいつわかってない…」
という怒りに火がつくともう、どうしようもないのです。痛いほど分かる。
じゃあ 、ここは母親であるわたしが育児に専念するしかないのだろうか 。いや 、それはない 。なぜ 、あべだけが仕事ができるのだ 。ふたりの子どもなのに 。
妊娠し切迫になり自宅安静…あれほど望んだ妊娠とはいえ、それまでつながっていた社会と強制的に断絶され、自由に動くこともできず、無事に産むことができるかどうかもわからず、とてもしんどい。
じっさい問題 、一般的には 、夫が働きにでている家庭の場合はそうなるに決まってるのだよね 。これは構造の問題なのだ 。夫が望んでも望まなくても 、平日の家事と育児は妻がやるしかそりゃなくなるよ 。だって日本の就労システムがそもそもそういう仕組みになってるんだもん 。でも 、それを夫が当然と受け止めるのか 、そうでないかで 、気持ちってぜんぜん変わってくるものだと思うのだよね 。
夫婦がともに在宅で仕事をして 、家事を分担して 、経済的にも独立して 、いいたいことをどこまでもいえる気の強いわたしでも 、そしてオニのお世話は授乳以外 、すべて完璧にこなして 、問題があればどこまでも話しあうことをいとわないあべちゃんという夫がいても 、不満が爆発してまじで頭がおかしくなりそうなのに 、そうでない女性たち 、たとえば経済面では頼るしかない状態にいる専業主婦たちは 、いったいどれだけのしんどさをしょいこんで 、いつまで 、どれくらい 、がんばってゆけばいいのだろう … …それを考えないわけにはゆかなかったし 、そういう状況を想像するだけでしんどかった 。だいたいさ 、夫が家事とか育児とかをする場合 、 「やってくれてる 」って言いかたがあるけれど 、あれっていったい 、なんなんだろう 。
著者は、そこに、他人同士だから完全に理解し合えるわけがない、というひとまずの決着をつけます。
「出産を経験した夫婦とは 、もともと他人であったふたりが 、かけがえのない唯一の他者を迎えいれて 、さらに完全な他人になっていく 、その過程である 」
新しい「家族」というつながり、まぶしいほどにあふれるひかり
でも、オニと過ごしてきた時間をわかりあえるのは世界中であべちゃん、たったひとりなのだ。あの日、あの時、あの場所で、このあべちゃんでなければ、このオニではなかったんだ……と懐メロそのまんまの感慨がこみあげて、なんだか自分がものすごく荒涼とした、だだっ広い宇宙みたいなところでぽつんと座ってるような感じになって心細くなってしまう。でも、ふと気がつけば、となりにはあべちゃんがいて、わたしとあべちゃんのあいだにはオニがいて、3人の体が少しだけ光っているのが見える。それはほかのどれともちがう光だ。
私も、これは娘が五歳になった今でもそうです。
子が生まれ子と過ごすことは、信じられないほど大変で辛く苦しく、これまでのアイデンティティーを破壊され母というものに縛られ苦しむ反面、それと同じくらい、それ以上に、かけがえなくすばらしいことなのだと。