働く女子の運命を読んで。運命…遠い目になっちゃうなあ…
濱口桂一郎さんの「働く女子の運命」を読みました。
少し前にこちらの、濱口桂一郎さんと上野千鶴子さんの対談がTwitterで話題になっていたのを読み、気になったので購入しました。
働く女子は活躍できるのか? 濱口桂一郎×上野千鶴子、"組織の論理"と"女性の論理"が大激論!(前編) 『働く女子の運命』 (濱口桂一郎 著)|インタビュー・対談|「本の話」編集部|本の話WEB
読んでいてちょっと重い気持ちになったので読み進めるのに時間がかかりましたが、
・自分が企業に総合職として働き、子供を産み、産休・育休をいただき復帰したものの、育児との両立に行き詰まり社内でジョブチェンジした経緯の中で感じたことが、わかりやすく言語化されていた
・そしてその現象はどうして起きているのか、が、日本特有の雇用構造、労使関係の歴史から生まれているということがとてもわかりやすく説明されていた
というところがとてもよかったので、ざっと紹介させていただこうと思います。
「働く女子の運命」。
もうこの「運命」という題名だけで、その前途多難さが匂い立ってくるような気がします…私はそう感じてしまいました。
運命の重さから逃れようとするかのような「女子」というキラキラした単語にのしかかってくる「運命」。
タイトルを「女性」ではなく「女子」としたところにセンスを感じます。
本の内容
著者
著者の濱口桂一郎さんは、労働問題の専門家です。
厚生労働省(旧労働省)の官僚を経て、現在は労働政策研究・研修機構で主に労使関係の研究をなさっている方だそう。
私は当初感覚的に女性問題の専門の方なのかな、と思っていたのですが、女性問題自体にはそれほど詳しくないそう。
でも、だからこそ、気づきを感じるというか、こういう切り口があるのか!と勉強になりました。
概要
内容をものすごく簡単にまとめると、こういう感じです。
・日本での女性の就労の歴史の説明。日本では男性が家族の分も働き稼ぐもので、女性は銃後を守るものだった。そのため、ある意味女性の就労が制限されていた。
・日本の労働は、欧米のような職能や専門性に対する評価ではなく、時間制限がない中でどれだけ働き会社に貢献できるかというのが価値になっている。
・均等法により男女は一見差別がなくなったように見えるが、実はそれは家事育児負担がない男性と同じだけの働きを、家事育児負担をしている女性にも求められることになってしまっている。
・一つの解は、専門がなくともまずは労働時間で換算する世界に入ってくるという入口は変えず、中高年になったら時間ではなく職能・専門性で評価する制度に変えていくこと
(ただ、それだと今度は、女性が専門性を獲得するまで妊娠できないという課題が残る)
概要は、序章にまとめられており、序章と第4章「均等世代から育休世代へ」 で、だいたいの流れはつかめる感じです。
もちろん、第1章〜第4章に、日本はなぜそういう社会になってきたのかということが詳しく書かれているので、「そういうことだったのかー!!!」という気づきを得られます。「『会社』ってこういう感じだよね確かに…!!」というのとともに。うなずきすぎて首がもげそう。
私が「なるほど〜」と思ったポイントは、
・日本では、会社に長く属し、会社がその時求める職務や場所や時間など諸条件に文句を言わずに対応できるかということに給与が支払われる
・均等法により、女性も男性と同じような働きをできる「総合職」が生まれたものの、総合職は、上に書いた「銃後を守る女性がいる中で働く男性」と同じ働き方を強いられる。
私の経験(ちょっと長いので興味ない方はすっ飛ばしてください)
私は入社後ずっとIT関連企業で営業やサービスの企画に従事していました。
産前は、忙しい時期は終電で帰るということも珍しくありませんでした。
でも、それが普通でしたし、自分が担当しているサービスがかたちになっていくことにやりがいを感じて働いていました。
30代に入ってから妊娠し、育休をいただき、復帰。
復帰した先は元いたサービス企画部署の、支援スタッフでした。
具体的には、営業や企画の裏方として、社内稟議の準備や契約書作成、経理処理などを行うみたいなイメージです。
短時間勤務でも問題なくやれる量でしたし、復帰して一年、育児しながらの仕事に慣れるにはちょうど良い環境で、とてもありがたかったです。
ただ、これまでずっと外に出て、お客様と話し、社内を巻き込んで協力してもらいながら何かを立ち上げる、ということをずっとやっていたこともあり…だんだん物足りなくなりました笑
入社年次的に、昇進したいという思いもありましたが、支援スタッフでの昇進を望むのはかなり厳しそうでした。
そこで、サービス立ち上げ自体の仕事に戻るのですが…
上司は私が育児をしていることを理解はしてくれているものの、成果を出すには同じチームのメンバと同じだけ、いやそれ以上の量をこなす必要がありました。
チームメンバは全員女性でしたが、育児中の女性はいませんでした。
昇進するというのは、同じレベルにいる人たちとの競争です。
その中で抜きん出る評価が得られなければ、上には行けません。
だから、他の人以上の成果を出さなければいけない状況でした。
上司や同じチームのメンバが22時に帰っているような状況のなか、同じ量をこなすには、どんなに効率化しても、誰かに振っても、自分だけ早く帰るのはかなり厳しい。
遅くとも20時くらいまでしか働けず、子供が熱を出せば社内や客先の会議を代わってもらうということも出てきて、同じチームの他の社員に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そして、何より、毎日遅くまで保育園で私を待っている娘にも。
自分でできるところまで、あがいてあがいて本当に頑張ったのですが、どうしてもある壁を超えられない。
そしてそれは、家族や娘を巻き込むことでもある。
最終的に体調を崩してしまい、悩みに悩んだ末、結局スタッフ職に異動させてもらうことにしました。
今は営業スタッフとして、これまでサービス企画に広く携わってきた知識や経験を活かして、広報業務を中心にやっています。
労働時間や環境は幸いかなり改善しました。第二子妊娠を考える余裕もできました。
ただ、今後昇進できるだけの成果、評価を得られるか。
ちょっとここは正直微妙なところです。
そんなことがあって…育児などによる時間制約がない人たちと同じフィールドで戦わなければいけない現実の厳しさを身を持って感じていて、この本を読むことでその経験を改めて言語化して自分の中に消化した、という感じでした。
働く女子のこれから
自分語りが長くてスミマセン。
この本の中では、「働く女子の運命」のこれからについては、
そして、そういう日本的成果主義の世界とはあたかも切り離された別世界のお話であるかのように、2000年代にはワークライフバランスの大合唱がわき起こり、ノーマルトラックとは区別されたマミートラックが作り出され、その両側に分断された女性たちがどちらも不満を募らせるという状況が進んでいるのが現在の姿と言えましょう。
この多重に錯綜する日本型雇用の縮小と濃縮と変形のはざまで振り回される現代の女子の運命は、なお濃い霧の中にあるようです。
と書かれています。
そう。
なお濃い霧の中!!どうもありがとうございました!!!
…いえ、本書の中で一応選択肢は示されています。
中高年以降はジョブの専門性で評価されるような世界にならないか、という話です。
中堅以降の社員になったら、専門性を高く持つことで、
・労働時間とは別の付加価値をつけることができる
・やることを専門範囲内に自分で限定することができる
それによって、時間に制限があっても、オールマイティプレイヤーと同じフィールドで戦えるのではないかと…。戦い方を変えるイメージです。
私が総合職で復帰した友人たちと話していると、「これまでの貯金でやっている」という話がしばしば出てきます。
仕事のやり方そのものを知っているというものもあると思うのですが、これまでの「貯金」が、組織の中での独自性や、自分の専門性につながってるんだろうな、というふうに思います。
【追記】
著者の濱口桂一郎さんのブログにて、こちらの元記事を書評としてご紹介頂きました。
大変深いとコメント頂き恐縮です…ご紹介ありがとうございます!
udonmotchさんの拙著書評(大変深いです): hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)